2018年11月5日月曜日

文化の秋

文化の秋

 11月3日(土)~4日(日)と西之表市の文化祭も行われていますが、ここ月窓亭でも
4日(日)10:00~15:00まで表千家同門会のお茶会が行われました。
 月窓亭でのお茶会は、数年続いているので多くの方はよくご存じです。
 この日も、朝から多くの方が来られ、お茶を楽しんでいました。

小さいお子さん連れも参加
作法も聞きながら

今年も、下西川迎の榎本 修氏が育てられた菊を月窓亭の庭に配置して、雰囲気を盛り上げました。




 月窓亭も今が一番過ごしやすい季節です。
 ぜひ、お越しください。
 月窓茶と安納芋、黒砂糖でおもてなしをしています。




2018年10月22日月曜日

研修視察、四半的大会

すばらしい秋空の中、10月19日(金)~21日(日)にかけて「ひとつ葉の会」5名で研修視察を兼ね宮崎県日南市飫肥城下まつりの四半的大会に参加してきました。

大会参加は、今年で3回目、しかし、日頃の練習不足でもちろん最下位。皆さんとの技術の差がすごい・・・

今年は、台湾からも8名の若者が参加しました。

いよいよ、四半的も国際的に・・・・

  開会式、今年は27チームが参加。会場は飫肥中学校第2グランド。

ほとんどの参加者は、4間半先にある4寸5分の的を外しません。

宮崎県は、四半的が盛んで各地区でチームがいくつも結成され、このような大会が県内各地で年間30回程度開催されています。


四半的とは  (ウィキペディア)

概要
的までの距離が四間半(約8.2m)、矢の長さが四尺半(約1.36m)、的の大きさが四寸半(約13.6cm)ある事から「四半的」の名がある。
飫肥では娯楽として親しまれており、飫肥城跡や家に射場があるほか、人々(男女は問わない)が「練習」として公民館等に集まり、焼酎を飲みながら四半的に興じる習慣があり、人々のコミュニケーションツールとしても機能している。地元の松の露酒造からは「四半的」という銘柄の焼酎も出ている。
現在では宮崎県を中心に愛好者が広まっており、熊本県東京都府中市でも親しまれている。飫肥以外では弓道の団体がスポーツとして行うこともある。
歴史
永禄10年(1567)に伊東義祐島津忠親がいる飫肥城を2万騎を率いて攻撃した。島津軍は援軍を送ってきたが、竹で作った半弓で武装した農民たちが島津軍を圧迫し、伊東軍が勝利した。この功績により、伊東義祐が農民に娯楽目的で弓を持つことを許可した。これが四半的の始まりと言われている。天正11年(1583)の島津家の家老である上井覚兼の日記には「武将たちが酒盛りの余興として「四半」を行った」という記録があり、遅くともこの時期には飫肥近辺で広く行われていたことが分かる。国境防衛策と娯楽を兼ねて、伊東家家臣山田宗昌(匡得)が振興した物と伝わっている。
飫肥では下級武士を半農として住まわせており、日置流弓術も盛んであった。そのため、大人は大弓を射ており、幕末から明治時代にかけては四半的は子供達の正月遊びとして主に行われていたが、現在は大人の遊びとしても親しまれるようになっている。
技術
·         に正座して、横向きに狙いを定めて巻き藁を射る。
·         日本の弓術には珍しく、矢を摘む様に持つ「ピンチ式」という持ち方をする。
·         「サイコー!」(「さあ、いこう!」の意)という掛け声を使う。
·         得点を数える時に、「正」の代わりに「玉」の字を使う。
·         的の大きさは普通は四寸半だが、練習時には二寸や一寸五分の的も使う。



今年は、生駒高原のコスモスも見学してきました。
今が満開です。きれい・・・・





都城市内の都城島津邸、国の重要文化財になっています。
かつて、昭和天皇もお泊りになったとのことで、特別誂えのテーブル、ベッド等もそのまま展示されています。
また、この日は盆栽展も開催されていました。
島津伝承館では特別展「鉄砲伝来と薩摩筒」が開催されていて、種子島開発総合センター(鉄砲館)からの借用資料も展示されていました。非常に親しみを感じました。
それにしても、りっぱな邸宅でした。




2018年9月23日日曜日

実りの秋

実りの

 暑い暑い夏が過ぎ、少しは過ごしやすくなってきました。
 月窓亭にもようやく秋めいた感じです!

 庭にある、龍眼と柿が実ってきました。
 昨年は、あまり実がなりませんでしたが、ことしは両方とも当たり年たくさん実っています。

 
龍眼の木
龍眼の実
龍がんの甘い匂いに引かれて、キイロスズメバチがやってきます。
要注意!!


  ※ 龍 眼   

リュウガンは東南アジアから中国南部原産の常緑樹である。主な生産地は福建省など中国南部、台湾タイラオスインドネシアベトナム、日本では沖縄八重山列島などの一部地域。
樹木は5m10mほどに生長する。台湾や沖縄での収穫期は78月。
2cmほどの丸く茶褐色の果実をブドウの房のように一度に多く実らせる。果肉仮種皮)はブドウに似た白く果汁の多いゼリー状で、中央に中に大きな種子がある。この種を竜の目に例えて竜眼の名が付けられた。果実は同じムクロジ科ライチに似ているが、ライチと比べリュウガンの実は小さく種が大きいため可食部は少ない。独特な香りと味があり好みが分かれる。(ウィキペディアより)



また、柿の木にも実がいっぱい
これ、甘柿です。そろそろ食べ頃・・・

   日一日と秋らしくなってきました。
    
   秋は旅行シーズンでもあり、多くの団体客も見学に見えています。

           スポーツの秋、文化の秋、食欲の秋、読書の秋・・・多くのことを楽しみたいですね!
   







2018年8月24日金曜日

平和講演会

8月18日(土)種子島鉄砲祭りの前日
赤尾木城文化伝承館月窓亭「ひとつ葉の会」自主事業
「平和講演会」を開催しました。

 講師は、種子島家の分家筋の種子島秀子さん。

 秀子さんは、京都生まれで満蒙開拓団として満州に渡り、終戦とともに、ソ連兵、暴徒化した中国人グループに追われながら、悲惨な逃避行を経験。
 その後日本へ帰国できず中国人の養父の下で生活、師範学校を卒業後教師となる。
昭和47年日中国交正常化が樹立するが、条件が整わず帰国できず、平成2年、民間ボランティア団体「陽春会」の協力で帰国。
 現在、茨城県結城市在住。ボランティアで中国語を教えながら、自身の壮絶な戦争体験を通して平和の尊さを伝える講演活動をしている。


      2時間にわたり、貴重な体験をお話しいただきました。


       約60名の参加者も熱心に聞き入りました。
       やはり体験談は、説得力があります。


      開拓団の生活の様子も絵で説明、当時の様子がよくわかりました。

  戦後73年、日本では平和が続いて、平和であることのありがたさが忘れられがちですですが、平和は、政治、経済、軍事、外交等のバランスの上に成り立っているもので、本当に貴重なものだと改めて感じさせられました。

2018年8月10日金曜日

お盆

種子島のお盆の展示

全国的に異常な猛暑が続いています。

それからすると種子島はまだ涼しい方かな!! 
 

 月窓亭では、今年も昔の種子島のお盆の展示を行っています。

 種子島でのお盆を紹介します。


お盆の精霊様のお迎え

盆はどの家でも精霊様をお迎えしてご馳走をする日。迎え火を焚く地域、墓参りに行く地域と様々である。14日・15日は一日に数回もご馳走を取り替えなければならないから、一家の主婦は大忙しである。
床にはバショウ(芭蕉)の葉を敷いて、その上にご馳走を並べる。
    ご先祖のすべての位牌の前に①お花②ご飯(箸は丸い竹)③煮しめ(油あげと昆布)④油あげ⑤うちわを供える。



 種子島では、縁側に水棚(精霊棚)を作ります。

  墓に御先祖の精霊様を迎えに行きますが、このとき行く当てのない霊も一緒について家まで来ます。この行く当てのない霊をそのままにしていると、家によくないことが起こると言われ、そのため、行く当てのない霊の為、水棚をつくり霊をここに宿しご馳走します。



 残念ながら、現在、水棚を作る家はほとんどありません。


精霊送り

 15日の夕方、灯籠に火をとぼし、精霊様をお連れして墓に行き、迎えのときと同様にお供えをし、送り火を焚き、極楽浄土へお送りします。
帰りの道は灯籠の火を消します。
16日には精進明けとなります。



2018年8月1日水曜日

講演会のお知らせ



赤尾木城文化伝承館月窓亭ひとつ葉の会自主事業

戦後73年 平和について考えてみる

「平和講演会」のお知らせ



「満蒙開拓団と戦争」


     ―次の世代に伝えたい「平和の尊さ」







   

                講師:種子島 秀 子 氏

                 (種子島家分家筋)
                日時:平成30818日(土)
                      14:00~16:00
                会場:種子島開発総合センター
                     (鉄砲館2階会議室)
    
                 入場無料


       ≪講師略歴≫

  昭和12年(1937年)京都生まれ
  昭和19年(1944年)7才 華族と共に京都廟嶺開拓団に加わり、満州に渡り、
  吉林省樺甸県入植。
  戦後、帰国できず、中国遼寧省滞在。
  日本人母と中国の養父元で育ち、専門学校卒業、32年間中学校教師勤務。
  平成2年帰国。茨城県結城市在住。
  「日中友好協会」会員。平成21年から「中国語会話入門」教室開催。、
  ボランティア教師担当。
  近年来、自分の戦争体験、平和の命の尊さを日本各地で語り続け、反響を
  呼んでいる。


   【満蒙開拓団】
    満州事変後、困窮した農民の救済と満州国の維持、北方警備を目的に、
    旧満州や現在の内モンゴル自治区に全国から送り込まれた農業移民団。
    約27万人にのぼった。
    終戦前のソ連侵攻直後、約70万人の関東軍は撤退。置き去りにされた
    移民団の逃避行は悲惨を極め、死者は約8万人とされる。
    また、多数の中国人残留日本人・孤児を生んだ。








  主催:赤尾木城文化伝承館月窓亭ひとつ葉の会
  後援:西之表市、西之表市文化協会

2018年7月8日日曜日

梅雨

梅雨ですね。
種子島では、雨が続いています。

久しぶりにブログを書きます。

6月~7月はじめは、観光のオフシーズン、月窓亭もお客様が少なくなっています。
そんな中、6月22日には、伊関小学校3・4年生2名が、7月7日には南種子町の宇宙留学生役40名が見学に訪れました。


             お話を聞く伊関小3,4年生


            お話を聞く南種子町宇宙留学生

  みなさん熱心に話をきいてくれました。
  宇宙留学生は親元を離れてさびしくないかと思いましたが、みなさん明るく元気でした。



 雨が続いていますが、種子島では大きな被害はないようです。でも蒸し暑いです。

しかし間もなくすると、暑い夏、夏休みもあって種子島は観光シーズンとなります。
月窓亭へも、多くの人々が訪れます。

7月18日(水)は、西之表港に飛鳥Ⅱが寄港します。多くの乗船客が来られると思います。

 

 月窓亭の庭の甕(かめ)の中の睡蓮の花がまた咲きました。きれいですね!
睡蓮は、夕方花を閉じて翌朝また花を開きます。本当に夜の間眠るのですね。