2013年5月23日木曜日

「山の井様」に秘められた歴史 ①


今回は、種子島の至宝「山の井様」にまつわるエピソードや、歴史秘話をお伝えしたいと思います。



「山の井様」は、江戸時代初期に作られたと言われています。
一説によると、京都の公家、山の井家の娘で徳川将軍がご寵愛された方。故あって十代後半で変死を遂げられ、徳川将軍がその娘そっくりの等身大の「山の井様」をお作りになり、徳川家では人間同様のおもてなしを受け、大事にされてきたそうです。
その「山の井様」が、どのような経緯で徳川家から島津家へ渡ったのか、未だ謎ですが、薩摩藩主・島津斉宣(なりのぶ)の次女、於隣(おりん)→(後の松寿院・篤姫の伯母にあたる)が 第23代島主・種子島久道に輿入れの際、種子島家に移ったとされています。

第28代種子島家当主・種子島時望氏が、昭和25年6月の熊毛文学増刊号に「山の井様」について掲載した文を抜粋して紹介します。
「古くから伝わっていたことは、はっきりしているが、ほの暗い二階の(現・月窓亭)昇口の廊下の壁つきに真白い顔を浮き出させて、それが宙にぶら下がっているのが気味悪く、そばに寄るのさえこわかったものだ。
毛髪は一本一本植えたようにしてあり、白い両手を両膝にのせ、端然とすわっているのである。
顔は下向き加減で、浮世絵を見るような表情だし、さびしさの中に明るさをもった、ぞっとする程の美人の顔立ちである。きっと徳川時代の名のある彫刻家の作であるに相違ない。
春になると、赤ん坊が背負われるようにして、磯の花見に連れ出されたものらしい。頭部と手先だけが木彫りで、手足の関節部は自由に動くこの人形だから、本当の人間がおんぶされるような格好であったことが想像出来る。」

☆次回は、「山の井様」の深部に迫る内容をお届けしたいと思います。

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