2013年5月29日水曜日

「山の井様」に秘められた歴史 ②


今回は、「山の井様」のミステリアスな部分に迫りたいと思います。

まず、「山の井様」が、「強運の持ち主である」と言われる由縁について紹介します。
「山の井様」は、江戸城火災、戊辰戦争、西南戦争、太平洋戦争の四度の大惨禍に見舞われましたが、いずれも焼けずにすみ、難を逃れられたそうです。
いつの時も、人形としてではなく、人間として大事にされてきた事がわかります。

第28代種子島家当主、種子島時望氏は、昭和25年の熊毛文学にこのように書かれています。
「ある時火事があって、家の者が危険だから逃げましょうと言って背中を向けたら、自分から両手を差し出しておぶさったという怪奇な言い伝えもある。
西南戦争の時、うちが焼けたのに、火を逃れて種子島に来た。今度の戦争でも(太平洋戦争)、鹿児島に持って行っていたが、母のうちが焼夷弾で丸焼けになる前に種子島にかえしたので、鹿児島にあった物の中で唯一、難をのがれたものである。よほど火には強いらしい。」

そして、種子島家の方々が、「山の井様」をどのように見ておられたかが分かる文章があります。
「足の芯木が膝の布を突き破っていた時も、近くに住む巫女ばあさんに知らせがあったと母は吃驚していた。とにかく母はひどく神格化してこの人形を見ている。」

また、種子島時望氏の弟にあたられる時哲(ときあき)氏は、生前、「山の井様」は生きている信仰があり、感じるものがあったからと、祟りをこわがり、魂を抜く徐霊まで行ったというエピソードもあります。

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